代表の経歴

         

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出身地    山梨県
趣味   詩吟、ビデオ撮影、ゴルフ
所属

社会保険労務士会

町田市経営診断協会理事

社会福祉法人かわせみ会理事

社会福祉法人相模厚生会理事

略歴 
昭和38年 東京都立台東商業高等学校 卒業
昭和42年 中央大学商学部会計学科 卒業
昭和42年 八千代銀行 入行
(17年間は年金関連業務)
平成17年 八千代銀行 定年退職
平成17年 中澤社会保険労務士事務所 開業

 

社会保険労務士として独立した経緯

私の父親は戦争で死亡したため、叔母の家に預けられ、従兄弟の兄弟のように育てられました。しかし、祖父に後とりがいなかったことから、後継ぎになるため中学1年の時に祖父の家に預けられました。祖父の家は浅草で靴屋をやっており、10人くらいが働いていました。

所が高校2年の時、祖父が病気で死亡してしまいました。後とりになるには年齢が若すぎたため、叔母夫婦が相続することになり、私はその家を出ることになりました。

 

その条件として、大学まで行かせてくれる事と大学卒業までの学費・生活費を出してくれることでした。お陰様で浪人することなく中央大学に入ることが出来、それからは結婚するまでアパート暮らが続きました。最初のうちは寂しかったですが、一面、毎日が自由の身で開放された気分でもありました。学生生活では詩吟のクラブに入り、そこで知り合った仲間の妹と結婚しました。

 

中央大学卒業後、銀行に勤務し、43歳の時に社会保険労務士の資格を取りました。

資格を取った経緯を申し上げますと、私の個人的な性格がイエスマンになるのが嫌いなものでしたから、仕事をする上で何か疑問があると次長・支店長であれ自分が納得するまで問い詰める事が多々ありました。そのため、上司からにらまれる事が多く、望まない部署に転勤させられる羽目になることもありました。そのショックは大きく気分がふさぐ毎日が続きました。しかし、負けず嫌いな所もありましたので、いつかは見返してやろうと思い、社会保険労務士の資格に挑戦しました。

1回目の時は自分でテキストを買い自学自習しましたが、見事失敗しました。

2回目の時は日曜日に行なわれている受験専門の学校に通い勉強しましたがこれも失敗に終わりました。

3回目は銀行の業務終了後週1回、受験専門の夜間学校に通いました。たまたまそのときの先生の家が通勤に使っていた小田急線の同じ沿線でしたので、帰りはいつも一緒で、電車の中でも受験問答をさせていただきました。また、同じ受験生の中に受験学校でアルバイトをしていた人が居りまして、その人をリーダーに別途勉強会を週1回行いました。

 

その結果、3回目念願かなって合格することが出来ました。銀行から帰ると妻が合格通知が来ているよと言います。細かい資格試験もいくつか受けていましたのでそれかなと思いましたら妻が大きい資格だと言いますので、見たら労働省(現厚生労働省)からのものでした。そこで退職しようと考えましたが、その時の上司が年金の仕事に回してくれるとの事で、そこから17年間、年金関係の仕事を行ないました。

 

平成7年4月に雇用保険の高年齢雇用継続給付の制度が発足しました。

定年後の減額された給与+働きながらの年金+雇用保険の高年齢雇用継続給付

この三つの収入で定年前と変わらない収入が得られるという制度です。事業主は人件費節減、従業員の収入はほぼ同じ、これは中小企業の経営者にはもってこいの制度ということで、全店的にPRし、支店の営業役席に同行して事業先を訪問しました。その結果、事業先の深耕と年金の獲得を一気に推進することが出来ました。

 

定年後も年金の仕事で残るように勧められましたが、上記の経験から事業先の労務関係の業務に貢献したいと考え、独立することにしました。自分で事業を行なうということはやりがいのある反面、全ての責任と結果が自分に返ってくるため、大変なことですが、お取引いただく事業主の方は私以上にそのような立場におかれているのであり、気を引き締めて取り組んでゆかなくてはならないと思っています。

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